2008年9月30日火曜日
大雨の島内観光でさようなら【渡嘉敷島8】


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ランチ&ケーキをいただいて、民宿を離れる時がきた。
リーフイン国吉さんありがとう。荷物をまとめて島内観光に出発だ〜


途中案内してもらったヤギ小屋。
動物臭もしないしこぎれいでなんだか清潔感ある、と思ったら…
高床式でヤギたちの足元が鉄網状になっている。(おしっこうんちで足元が汚れない)臭いがしないのはEMとか使っているのかも(?)
うーん、よく考えてるなぁ

ヤギ小屋をあとにしてしばらくすると、大雨が降り出した!☆(@_@;


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山頂にある『国立沖縄青年の家』に着いたときには、恐ろしいくらいの激しい雨でどうすることもできずに一旦港に向かいかけたが、これまた急に雨が上がり、引き返して展望台へ。

こちらは西側が見渡せる展望台。
雨の直後だけに見通しはそれなりだったが
気分はすっきり爽快!(^_^)



西展望台の案内表示


(クリックで拡大)東側の展望台。
こちらも視界クリアといかず残念。
でもなかなかの気持ちよさ。


東展望台の案内表示


島内観光といっても大雨で行けたのはヤギと展望台ぐらいだったが、マイクロバスを運転しながらのガイドの集団自決問題(教科書検定問題)の話が印象的だった。

要約すると、

“この前、旧日本軍の兵隊さんだった人が島を訪れたが、内心険悪なムードにならないか心配していた。ところが当時親交のあった方(おばぁ?)などは「○○さん元気だったね〜?」と温かく出迎え、島の人の寛大さに感心した。ところがそんな島民に対しての(軍命がなかったかのような)動きは信じられない。憤りを感じている”

というような話だった。(ガイドの民宿オーナーさんは島に嫁いで何十年?のナイチャー嫁)

このような話を聞いてあらためて思った。

この島で起きたことはすべてあの時代に起きた事実。好き好んで家族で殺し合う人などいるだろうか。あのような時代を決して繰り返してはいけない。今を生きるわれわれが忘れてはいけないことなんだと。


── 島を離れる間際にこのようなことを考えさせられ、こうして一泊二日の渡嘉敷島は終わった。

実はこの日から熱発してこの後しばらく体調不良が続いたが(情けない(*_*;)、5〜6年前に座間味島に行って以来、あまりの海の美しさにぜひ渡嘉敷にも行きたいと思っていたのがかなって嬉しかった。

次は阿嘉島に行ってケラマジカ!かな。



リーフイン国吉のオーナーかなさんのブログの写真
山登り大ファミリー:渡嘉敷島日記





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2008年9月28日日曜日
疾走するOpti Beex 【八重瀬町】

先日、富盛の大獅子を見に行ったときに撮影した

『八重瀬町を疾走するOpti Beex 』

先導する車から撮ってもらったが、丘を駆け登るBeexがWRCカーなみのスピードを出しているようだ。

…なんていうのはもちろんウソで、これも3枚の写真をhuginでつないだパノラマ☆



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2008年9月27日土曜日
富盛の大獅子と戦争の傷跡【八重瀬町】

*八重瀬町(やえせちょう)富盛にある、富盛の石彫大獅子。

*旧・東風平町(こちんだちょう)

以前から“沖縄最古で最大のシーサー”という話は知っていたので、この辺りを通る時はいつも気になっていた。

今回、近くまで用事で来た後で少し時間があったので足を運んでみた。

案内標識をたどっていく途中で迷いそうになりながら、集落の奥にある入口にたどり着いた。

大獅子は丘の上にあるらしく、舗装された坂道が丘の上に続いている。坂道の両脇はウージ畑。

坂を登っていくと案内表示が見えた。
それを見ると、この場所は勢理城(じりぐすく)というグスクの中だった。


そしていよいよ大獅子とご対面。

しかし最初に見た時、
その面構えに一瞬あとずさりをした。


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訪ねたときはすでに夕方で、周囲が薄暗くなりつつあったためか、あるいは周囲の静けさとグスク独特の雰囲気がそう思わせたのか、とにかく迫力がある。これが最古の歴史に裏打ちされた迫力なのか。


これまで見た村落を守るシーサー(数体)は、風化して彫りがハッキリしていなかったり、いかにも古そうで朽ち果てる寸前という印象が強かったのに比べ、このシーサーは彫りが深くハッキリしており、目つきが鋭い。



とても300年以上前に作られたものに見えず、あたかもつい最近作られたかのようなハッキリとした造形の力強さを感じる。
こちらのページによれば、“沖縄県における守り神「シーサー」の元祖”とか、“沖縄各地のシーサーは、ほとんどがこの大獅子をモデルにした”とか、ほかにもゴジラ映画に出てくるキングシーサーのモデルになったらしい、ということが書かれている。

その中でも触れていたが、この記事を書いていて思いだしたことに、ずっと心にひっかかっていた写真のことがあった。

それは以前、平和祈念資料館あたりで見たのか、戦争記録の写真集で見たのか定かではないが、第二次大戦中のまさに戦闘中の写真に富盛の大獅子が写っていた写真だった。

   ↓↓↓ この写真 ↓↓↓

   東風平町富盛の石彫大獅子
   ハイウェイ 1 の時代 今も残る戦後沖縄より)

自分も知っているぐらいだから、たぶん有名な写真なんだろう。

そう、これが脳裏に強烈な印象を残していて、
いつか大獅子を見てみたいと思っていたのだ。


   戦闘中の弾よけになっても、

   周りが焼け野原になっても、

   今もこうしてこの場所に
   大獅子が残っているということ。

   それがすべてなのかもしれない。


物言わぬ大獅子は
その存在そのものが何かを物語るように
静かにたたずんでいた。



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2008年9月25日木曜日
ついに最終回、青春爆走ドラマ「キムタカ!」

4月から毎週木曜、琉球放送「スゴてれ」の放送開始とともに始まった番組内のミニドラマ、青春爆走ドラマ「キムタカ!」がついに20回目にして最終回を迎えた。

ドラマは通常10分のところ、最終回スペシャルで20分となり、劇中劇となる舞台「肝高の按司加那志(きむたかのあじがなし)のダイジェストの様子を紹介する形で、舞台の終了と共にドラマも幕切れとなった。

この劇中劇には、「肝高の阿麻和利」現役メンバーからOG、OB、あまわり浪漫の会やその他多くの方々の協力があったらしい。

このドラマもまた、平田大一氏が関わったこれまでの舞台と同じように、別地域で進行する別プロジェクトであっても、いつも互いに助け合いながら、惜しみない協力や支援があって成功できた、ということなんだろう。

そして
劇中劇の「肝高の按司加那志」は、ほんとうに素晴らしかった。

これまでのドラマも10分のドラマを1日(約半日)で1話分撮影するというスケジュールでこなしてきたそうだが、今回の舞台も、出演する子供たちは朝の9時に会場入りしてほとんど休まず(!?)夜の7時までリハーサルをして、そこから本番(番組収録)に臨んだという。

それじゃいったい撮影は何時までしていたのか…??(@_@;

(ちなみにサポート役の阿麻和利メンバーは学校が終わってかけつけ、数時間で振り付けを覚え本番に臨んだらしい…(!)スゴ過ぎる…)

ベースは「肝高の阿麻和利」だが、オリジナルのストーリーや演出、セリフも盛り込まれ、それを見ていると「肝高の阿麻和利」アナザーストーリーという感じで、「肝高の阿麻和利」の中で言いたかったことを別の形、コトバで表現した舞台にも見えた。

ドラマの劇中劇としての手抜かりなどは一切感じられず、これはこれで最初から最後まで観てみたいと思わせるような魂のこもった舞台だったと思う。(この舞台を実現することを目標にしてきた青春群像ドラマだったから、という点を差し引いてもこれはたやすいことではない)

これはまさしくキャストの子供たち、スタッフの大人や子供たちがどれほどに真剣だったか、ということの賜物ではないだろうか。

また同じく番組開始から唯一の女性進行役として華を添えてくれていた邑田みさき.さんが、今回で番組卒業となった。
あれだけかわいい声で抜群の安定感をもつ進行役は他になかなかいないと思うけれど、今はとにかく元気な赤ちゃんが生まれることを祈って一言。「おつかれさまでした!」

*スタジオゲストのドラマ「キムタカ!」出演者の写真は、
 伊禮俊一さんのブログから借用させてもらいました。




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2008年9月24日水曜日
阿波連ビーチとサプライズケーキ【渡嘉敷島7】


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昨日につづき快晴。『渡嘉敷島といえば阿波連ビーチ』という一番の有名どころではあるけれど、それも納得の美しいビーチ。

ひとしきり泳いだりスノーケリングしたところで昼になったので、
あとは民宿に戻ってランチを食べたらそろそろ港に向かう時間かな。


実は昨日、この日を含めて8月生まれの子どもが3名がいることをたまたま(?)民宿の人に話していたらしいのだが…

昼ご飯を食べた後で、なんとサプライズのケーキを準備してくれていた(!)

聞けば男性スタッフが昨晩作ってくれた手作りケーキだという ☆☆!

嬉しい心配りに感謝 ☆(;_;)


さて、このあと島内観光をしながら港に向かい、

いよいよこの島を離れるときが……


渡嘉敷島 - Wikipedia



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2008年9月21日日曜日
肝高の阿麻和利(ダイジェスト版)@かりゆし県民フェスティバル

またしても、阿麻和利の話題。
(明らかにブログ趣旨が変わってきている?)

さて、第20回かりゆし県民フェスティバル(うるま市具志川総合運動公園)に、家族+義母という5名で行ってきた。

阿麻和利以外にも魅川憲一郎やゴーオンジャーのショウがあり、家族の中でもそれぞれ(?)観に行きたいものがワンセットになっているイベントだったのでこれはやはり行かねば(!)ということで行くことになった。

これまでも阿麻和利はうるま市周辺のお祭りやイベントにときどき出演してきたようだが、こういった催し物に参加する場合、本編を最初から最後まで(2時間半から3時間ぐらいを)披露できるわけではないので、ダイジェスト版というのか一部ハイライトシーンを紹介する形になるようだ。

通常このようなイベントに参加する目的としては『少しでも多くの人に阿麻和利を知ってもらうこと』ということがテーマになると思うが、今回は11月ハワイ公演のための資金造成公演(10月11日のコンベンション劇場公演)のプロモーション(宣伝)ということがやはりメインテーマだったと思う。

外は30度以上の真夏なみの暑さで体育館内もどうなることかと思いきや、蒸し風呂のような最悪の状態はまぬがれ、風の通りもよかったのか意外と我慢できないほどの暑さではなかった。
しかし観る方はよくても演じる方は厚着して踊りまくってるわけだから、なかなか阿麻和利メンバーやスタッフは大変だったと思う。

規模としては通常120名いるメンバーからの選抜メンバー40名で、阿麻和利(勝連グスク10代目城主)誕生のシーン、エンディングのダンスシーンなどの演舞が、およそ30分程度のなかで繰り広げられた。

ストーリーの一部を紹介する形になり、やはり断片的な感は否めないが、それでも冷房設備のない体育館の中で、汗だくになって笑顔満開で踊るダンスチームの迫力は、阿麻和利をよく知らない人にも伝わったのではと思う。

ただ、阿麻和利をよく知らない人にはなぜあんな踊りになるのか、どういうストーリーなのか、という疑問はやはり本編を通して見ないと分からないと思うので、あれを見て興味を持った人が、少しでも10月11日(土)のコンベンション劇場公演に足を運んでくれたら、と願わずにはいられない。


あまわり浪漫の会☆BLOG:かりゆし県民フェスティバル
あまわり浪漫の会☆BLOG:ただ今、準備中
あまわり浪漫の会☆BLOG:イベント終了




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2008年9月14日日曜日
変化を恐れない、進化する勇気「肝高の阿麻和利」with イクマあきら

肝高の阿麻和利 with イクマあきら」昼の部を観てきた…

昨日の「with 伊禮俊一」に続いて2日連続の阿麻和利(!!)

思いつくままに書くと止まらなくなる(!?)ので、
ポイントを3つにまとめると…


☆☆ その1

《最前列のド真ん中、本当に手が届くほど目の前にステージ!》

この経験はたぶん一生に一度、
もう二度とない体験ではないか (T_T)(少なくとも阿麻和利では)


↓↓チケット&座席表参照↓↓(クリックで拡大)



イクマさんや
サポートメンバーのギターを弾く指使いや息遣い。

長者の大主(うふしゅ)の迫真の演技。

悲運の百十踏揚の踊りの繊細な指使い。悲しげな表情。

男性&女性アンサンブルが舞踊る風圧、光る汗。

すべての演者の微妙な動きから表情まで
すべてが生々しくリアル!

目の前の視界を遮るものは一切なく、
左右どちらかに視界が偏ることもない。

目の前を中心にして、左右がまったく同じといっていいバランスで大パノラマが展開される光景。

かつてこれほどまでの迫力は体験したことはなかった。

本当に、こんなに贅沢な場所はたぶん他にないだろう。

(心優しきパートナーの心づかいと幸運に感謝)


☆☆ その2

イクマあきら。やはりあなたは偉大だった》

阿麻和利の前のオープニングアトラクションで3曲。

1〜2曲目も良かったが、3曲目はギターでメロディーを奏でるスペシャルバージョンの「ダイナミック琉球」(インストゥルメンタル・アレンジ?)で1コーラスを終えて、オリジナルの「ダイナミック琉球」に入るめちゃめちゃカッコイイアレンジ!

そしてフィナーレでは、ふたたびイクマあきらの熱唱と平田大一の“口説(くどぅち)”、そして100名近い阿麻和利メンバーのダンスが一体化。(この日のために練習を重ねたオリジナルの振り付け、というのがまた素晴らしい)

壮大なコラボレーションとなった「ダイナミック琉球」は想像をはるかに越えた圧巻のパフォーマンス!

最高の場所で観れたことで、トータル3時間近く鳥肌たちっぱなし。


☆☆ その3

《阿麻和利役が藏當敏岐くん!》

昨年11月の城跡公演から数えてこれまでで5回足を運んで(今回が6回目)初めて見る、登川航くん以外が演じる阿麻和利。

最初はいよいよ次世代へと引き継ぐ準備かと思いきや、どうも同学年(つまり同じ高校3年生)らしい。
となると、これは阿麻和利役にふさわしい人間は他にもいるんだよ、ということだったのか。

最初は、たどたどしいところ、場数で備わる風格に物足りなさを感じたりもしたが、それはそれ。
登川航くんとは違う魅力や、力強さも垣間見えた阿麻和利だった。

なにより平田大一氏が言うところの、この肝高の阿麻和利を10年もの間続けてきた(これた)理念ともいうべき、“変化を恐れない、進化する勇気”(「4代目、あまわりの誕生は新たな伝説の始まり」平田大一)というのを目の当たりにしたような衝撃を覚えた。

あとはこれだけ観てると、勝手に我が子のデビューを見守る親族?の気持ちになってしまって、セリフをちゃんと言い切るたびにハラハラドキドキほっと胸をなでおろす、というような心境になっている自分がいることも、我ながら興味深い(苦笑)


まだまだ他にも沢山あるが、主なものはこんなところだろう。

どれだけ脂が乗った演技や熟練のダンスができるようになっても、その主力メンバーたちは毎年卒業していく。

後輩は偉大な先輩の壁を乗り越えるべく、
新しい阿麻和利をつくっていく。
これこそが、阿麻和利を何度見ても飽きないものにしている。

う〜ん、奥が深い!


イクマあきら(生熊朗)Official Site
南の島からの手紙 - イクマあきらブログ
└─9月14日「現代版組踊『肝高の阿麻和利』with イクマあきら」が無事終わりました!

肝高の阿麻和利 公式サイト
あまわり浪漫の会☆BLOG




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2008年9月13日土曜日
観てきた!「肝高の阿麻和利」with 伊禮俊一


きむたかホール(勝連町)から先ほど帰宅
肝高の阿麻和利 with 伊禮俊一」の夜の部を観てきた!

(写真は2008年2月の卒業公演時のもの)

いや〜〜〜、本当に観に行ってよかった…(T_T)

ナマ伊禮俊一は、歌、MCなどすべてから、
伊是名島出身の彼の誠実さがビシバシ伝わってきた。
そんな彼にピッタリのキャッチーなメロディの楽曲は
もう想像以上にノリノリで楽しめた。

明日はその伊禮俊一さんのプロデューサーであり、
「ダイナミック琉球」の作曲者でもあるイクマあきらさんがゲスト!!

その昔大阪にいたころ、
FM802から流れるE-ZEE BAND「My Girl」を
聴いてよく口ずさみカラオケでも歌っていた…
あの、イクマあきら(当時は生熊朗)だ。

連休2日連続の阿麻和利はさすがに初めてで、
この週末は脳内が阿麻和利一色だけど(この週末だけ?(^_^;)
明日の「肝高の阿麻和利 with イクマあきら」も超楽しみ!

豪華で貴重なゲストパフォーマンスと
阿麻和利メンバーの熱演を見逃さずに楽しんできたい。

昼の部だから寝ておきたらアッという間だな〜〜!
時間よとまれ〜(?!)


《追記 9/19》

最後の最後のアンコール?で「ダイナミック琉球」が披露されたが、
そのメンバーにサプライズが!!(@o@)

阿麻和利メンバー(踊り)+平田大一さん(口説)+伊禮俊一さん(太鼓)に加えて、そこで呼ばれたゲスト・ボーカルが…

な,なんと(!)

東浜夏希さん!

初めて阿麻和利を観たときに
圧倒的な迫力とその魂に響く歌声に「一体なんなんだ、この歌は!」
と一気に魅了された歌声の持ち主。

さすがにこの展開は予想していなかったので、
驚くやら嬉しいやら…(T_T)
1月の「琉球ルネッサンス」以来の生歌に超感動!


伊禮俊一 Official WebSite
Take my hand - 伊禮俊一ブログ
└─2008/9/13(土)公演の様子はこちら↓
Take my hand : 肝高の阿麻和利公演♪

イクマあきら(生熊朗)Official Site
南の島からの手紙 - イクマあきらブログ

肝高の阿麻和利 公式サイト
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2008年9月6日土曜日
翌朝【渡嘉敷島6】


振り返って見た展望台


(クリックで拡大)展望台を越えた先で見えた景色。
沖縄本島の岩(琉球石灰岩の岩?)とは違う感じ。


(クリックで拡大)薄暗くなってきたから民宿へ帰ろう。


民宿に着いた頃にはあたりは真っ暗


(クリックで拡大)そして翌朝。
またも晴天!はイイんだけど、暑そう〜(*_*;


(クリックで拡大)

阿波連集落の雰囲気。

周囲は民宿が
軒を連ねている。


(クリックで拡大)リーフINN国吉の2F廊下。
つきあたりの部屋の扉の角度が不思議。
部屋の名前はサザエさんファミリーの名前になっている。


朝食食べたら…、さぁ〜海に行こうか〜




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